シーズン3開幕【なぜ壁画は描かれなかった?】マルコ山古墳 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥
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- Опубликовано: 18 окт 2024
- 「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3、開幕です。
今回のシーズン3では、飛鳥の南西部に存在する終末期古墳をめぐります。第1弾は「マルコ山古墳」。漆喰の壁は見つかりましたが、そこに壁画はありませんでした。その理由は? そして、なぜ六角形という墳形なのか? 謎多きこの古墳を、今回と次回、じっくりと解説していただきます。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
近畿文化会ホームページ
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お優しいお二人のお人柄が伝わる動画でした。古墳に関心を持たれる方々の一端を見る思いがしました。
嬉しいお言葉ありがとうございます。お言葉を励みに頑張ります♪
@@umemaeSakiko お二人から飛鳥時代の人々の声が聞こえてくる気がします。
来村先生に登場していただきまして大変嬉しく思います。入りのボケとツッコミもナイスです。以前、マルコ山古墳で両足を痙攣したことがありました。1時間ほどで収まりましたけど、どうもこの古墳は敬遠しています。六角墳の解釈は良く分かりませんけど、川島皇子かな?と思います。次回墳頂を見せて頂けたら嬉しいのですが・・・
梅前さん、福島県郡山市にも2つ古墳があるんですよ、一つは国道49号線沿い(いわき方面)の大安場古墳、もう1つは大槻町の静御前堂の裏側にある針生古墳です。
マルコ山古墳で両足が痙攣したとのこと、大変でしたね。その後お変わりありませんか? おっしゃるように、私にも「何か苦手」な古墳があります。被葬者との関係なのか、それとも別の何かなのかわかりませんが、そういう直感って大事にしたいと思います。
>次回墳頂を見せて頂けたら嬉しいのですが・・・
うふふ。お楽しみに♪
いつも楽しみにしております。気にせずに頑張って!
優しいお言葉、心にしみます。ありがとうございます。これからも頑張りますので応援よろしくお願いします。
第3シーズンは🍧は🍧でも、空から降る🍧でしたか😂
濃い色のコートにキラキラと綺麗でした😊でも手もかじかんで🖐️大変なロケでしたのね😅何時も体当たり古墳ロケを有難うございます🎉🎉🎉
そうなんです~、マルコ山古墳では空からかき氷が降ってきました(笑)雨女と晴男の対決、マルコ山古墳では雨女の勝利?でした! 引き続き対決にご注目下さい♪
応援📣応援📣熱烈応援📣ロケ班の皆様を応援致します🤩
三たびの来村先生のご登場、今回のシリーズも楽しみにしています。
私が以前にこの古墳に行った時は、夏草が生えまくっていて、ゆっくり見れなかった気がします。
次回の動画も拝見して知識を得た上でまた行ってみたいと思います😊
いつもありがとうございます♪ 草が生えていると上れませんよね。私も一度断念した覚えがあります。また素敵なお写真見せてくださいね(^-^)
いつも、素敵な動画とナレーション、ありがとうございます。 今日の大阪(2024年3月6日)は、春とも思えない、冷雨で寒い日ですが、もう少し・・・暖かくなったら、飛鳥、葛城を逍遥します。 (CAM)
いつもご視聴ありがとうございます。
>暖かくなったら、飛鳥、葛城を逍遥します。
もうすぐ春ですね。ぜひお出かけくださいませ。
相槌を気にされる事、あまり気にされずに梅前さんらしく進行したらいいですよ! 梅前さんの影響でこの時代に興味を持ち先日、本薬師寺の現地説明会に行ってきました。 次回の配信も楽しみにしています。
>梅前さんの影響でこの時代に興味を持ち先日、本薬師寺の現地説明会に行ってきました。
この時代に興味を持っていただき嬉しいです! お近くでしたら現説にもどんどんお出かけ下さいませ。実物はやはり「力」がありますよね。
楽しい飛鳥めぐりをいつもありがとうございます。のっけから吹き出しました😂
ご視聴ありがとうございます♪ これからもよろしくお願いいたします。
梅前さん、福島県郡山市にも2つ古墳があるんですよ、一つは国道49号線沿いにある大安場古墳、もう一つは大槻町の静御前堂の裏側にある針生古墳です。
ご教示いただいて、ちょっと調べました。大安場古墳は前方後方墳なんですね! 針生古墳も古墳群の中の生き残り(?)とか。機会があったら行ってみたいです。ご教示ありがとうございました♪
動画の配信ありがとうございます。他の方も仰ってますが、相槌気にされることないです。自然にでるものですし、それだけ来村先生のお話を一生懸命に聞いているということなので。それにしても来村先生の三度の登場嬉しいです👏マルコ山古墳は個人的に川島皇子ではなく「弓削皇子」と考えています。私の一推しの皇子です。道教では天下八方を治めるという思想で八角墳を大王。六角墳は皇子といわれてるとか。長皇子と弓削皇子兄弟は持統天皇から疎まれていたのではないかと思っています。なので「六角墳にはしたけど壁画まではしらないよ」ってカンジだったのかと😀皇子宮も経営する有望な皇子だったと考えています。
>相槌気にされることないです。
ううう、優しいお言葉、ありがとうございます。編集していて自分でもうるさいと感じましたので、今回は控えめにしてみました♪
>マルコ山古墳は個人的に川島皇子ではなく「弓削皇子」と考えています。私の一推しの皇子です。
弓削皇子もあの頃に薨去していますので、可能性ありです。若くして亡くなられ、繊細な歌を残していますよね。梅原猛先生は高松塚の被葬者と推定していますね。別の動画でも言ったことがありますが、古墳は、後世破壊されたものもあり、未発見の古墳もあるはずなので、今ある古墳のみを使って「ここは誰」「あそこは誰」と被葬者を特定することにはあまり意味がないと考えています。確定することは永遠にないのでしょうが、さまざまな仮説を立て議論をすることそのものが、古代史の楽しみだと思います。これからもたくさん楽しみましょう♪
雨梅皇女(あめのひめみこ) 様 こんにちは😊
今回も、楽しみにしていますのでよろしくお願いします。
また失敗しました😅
(あめのうめひめみこ) でした。
70過ぎてから間違いが多くなりました。
いつもご視聴いただき感謝です。素敵な名前をつけていただきありがとうございます。今回、画面にはあまり写っていませんが、マルコ山古墳のあたりで雨がパラパラ降ってきました。さすが雨梅皇女です(笑)
ありがとうございます!
いつもありがとうございます! これからも応援よろしくお願いします。
今日は昭和のなついNG集みたいですね!笑笑
NG集、懐かしい(笑)昭和の人間ですので、どうもそちら寄りになっちゃいます♪
天武天皇と持統天皇の血を引いてないから八角墳は許されない。
天武天皇の血を引いてないから漆喰を塗っても壁画が許されない。
川島皇子のイメージに合致しますね。
持統天皇の意に沿うことでチャンスを掴もうとしたのでしょうけど、それも叶わなかったようで・・・
薄葬令の下では数値的には立派な古墳なのでしょうけど、この古墳からはどことなく寂しさを感じます。
>この古墳からはどことなく寂しさを感じます。
なるほど……。天武天皇の血を引いていないから壁画が許されなかったとの説、ありえると思います。天智の皇子として、彼なりに懸命に生きたんでしょうね。そう考えると、おっしゃる通り、寂しさを感じます。素敵なコメントありがとうございました。
噛み噛みでも安定のスタート。楽しみです。この時代は被葬者が見え隠れするから、その点でも気になります。通説どおり、私も川島皇子に一票です。六角というと、横穴石室が六角の忍坂8号墳が頭を過ります。
>六角というと、横穴石室が六角の忍坂8号墳が頭を過ります。
石室が六角形の古墳なんてあるんですね! 知りませんでした! なぜにまた六角形にしたんでしょう。古墳も深掘りすると本当に面白いですね。いつも貴重なご教示ありがとうございます♪
@@umemaeSakiko 六角堂のように六根清浄ということはないはずですが、偶数の多角形をキープしつつ八角形より2歩ほど譲ったのかな。川島皇子だから。ちなみに兄弟の春日宮天皇陵は円墳みたいです。
マルコもキトラもカタカナなのは意味があるのでしょうか。関西系の面白いセンセイですね。
>関西系の面白いセンセイですね。
そうなんです。ファンが大勢いる、大人気の先生です♪
>マルコもキトラもカタカナなのは意味があるのでしょうか。
キトラは亀虎(壁画をのぞき見?した人が、あそこには亀と虎がいる、と言ったという説あり)と表記していた時代もありましたが、現在はカタカナ表記で統一されているようですね。マルコも土地の人の呼び名からだと思うのですが、なぜカタカナなのかはわかりません。先生にうかがってみればよかった(汗)
太安万侶様の墓誌が発見されて、天皇家や、有力豪族の墓誌が古墳から一つも出てこない・・不可解でなりません。
>太安万侶様の墓誌が発見されて、天皇家や、有力豪族の墓誌が古墳から一つも出てこない・・不可解でなりません。
おっしゃる通りです。なぜなんでしょうね。墓誌を入れなくてもわかってるだろ!みたいな感じだったんでしょうか。それに加えて太安万侶は大陸の先進文化に精通した人だったので、自分の墓に墓誌を入れるよう段取りしたのかもしれません。
我が国には、渡来、帰化人の墓と云われる古墳が多くありますが、大陸半島にルーツを持つ氏族なら墓誌があっても良さそうですが…。
>大陸半島にルーツを持つ氏族なら墓誌があっても良さそうですが…。
墓誌が出てきたら面白いですよね。勉強不足で詳しく知らないのですが、大陸や半島ではいつ頃から墓誌を入れるようになったのでしょう。魏志倭人伝の時代から墓誌を入れる風習があったとするなら、それがこちらに伝わっていないのは不思議ですね。
大津王子の信頼を無残に裏切った異母兄弟、マンガ日本史でめちゃくちゃいやらしく描かれていました、そのせいか印象がとても悪いです。
>大津王子の信頼を無残に裏切った異母兄弟
そうなんですよね。マルコ山古墳に白い壁だけあって壁画が描かれていなかった原因について、来村先生もカメラが回っていないところで「金払いが悪かったんちゃうの」とおっしゃっていました。(ナイショです)